毎日にちょっぴりの幸せを。

マロが思う写真とお茶と生き方について

世の正解は、あなたの正解ではない。

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明日提出しないといけないレポートよりも、今私はこの記事を書いている。

 

バカじゃねえの。

 

と、思われた方。(いない方もいるかと思います)なぜバカだと思われたのか?しなければならないことをサボる人は情けないから?サボる人は世間体において見下されているから?そのレポートがその時、その瞬間に何がなんでもしないといけないことだと思ったからでしょうか。いずれにせよ、私にはわからない。テレパシーが使えるわけではないから。

 

なぜ私がこの記事を書こうと思ったかというと、

 

 

 

今すぐしたいと思ったからだ。

人に今すぐ伝えたいと思ったからだ。

 

 

 

これ以外の答えはない。それ以上でもそれ以下でもない。ただそうしたかったからそうしたのだ。己の心の赴くままに、自分の心の声に沿って正直に動いたのだ。ただそれだけである。

 

 

 

~やりたいことのためにしなければならないことをしているか~

 

「しなければならない」ということの価値は、やりたいことを成し遂げるため・達成するために存在するものだと思う。私は改めてあなたに問いたい。本当にあなたが毎日の中でしなければならないことは本当にしなければならないことなのだろうか。

 

目的もないのに、しなければならないことは本当にしなければならないことではない。

 

これまでに私は、世間=周りの人たちが言う正解(しなければならないこと)に沿って行動をしてきたことが多々あった。先ほど挙げた、レポートや宿題などもそうだ。限りある自分の時間を使って、ただ終わらせなければいけないという目的のために宿題やレポートに取り掛かることがあった。

 

それだけではなく、周りからの声も存在した。「宿題しないといけんよ」「課題しんといけんよ」。周りはそのように正解に当てはまろうとする。しかしそこに私の正解は無かった。心の底からやりたいという意思もなく、黙々と取り組んでいた。

 

そんな時の自分を思い返しては思うことがある。

 

 

 

心底生きていない。

 

 

 

そんなことをするぐらいなら、一つでも多く一秒でも幸せになる記事を書いとけば良かったなと思うし、一人でも多く人と出会って笑いあったり本気でぶつかり合っておけば良かったなと思う。時が過ぎたからこそ思えることだ。

 

 

 

~自分の正解を作る~

 

世の中にはいろんなものが沢山溢れている。これが正しい。あれが正しい。それらの情報を耳にして迷う時もあるだろう。もちろんその中には、自分のためを思ってくれている・自分のためになる情報もある。ただ、それに型を合わせるのではなく自らがその型になってほしい。これは私の望みでもある。欲望でもあり、他人に押し付ける部分があるのかもしれない。

 

ただ言いたいのは、自分が生きたい生き方に忠実に沿ってほしい。それはテレビの世界にあるわけでも、ネットの世界の中にもない。世間の流行・一般常識の中にもない。

 

 

 

あなたが見つけるしかない。作るしかない。

 

 

 

「自分を良く見せるな」など思われても別にいい。

 

 

 

これが自分の答えなのだから。

 

 

 

そして、その答えを胸に生きる。

 

 

 

ただそれだけだ。