毎日にちょっぴりの幸せを。

マロが思う写真とお茶と生き方について

身近な人を幸せにできないのに、ブログで人を幸せにできるか。

どうも。

 

最近、自分にとってのブログというものがどういう存在なのかを真剣に考えるようになったマロです。

 

今回は、先日友人に言い放たれた言葉を軸に話していきます。

 

 

 

自分は傲慢の塊だ

 

ブログを始めようと思ったのは、何か人のために何かできることはないのかと始めたのがきっかけだった。

 

それが、どんどんと

 

「どのようにしたら見てもらえるのか」

「効率的に文章を書くにはどうしたらいいのか」

 

など、本来の目的とは少しずつ外れた方面へと向かっていきました。

 

そして、

 

「収益化するためにはどうすればいいのか」

 

と、真剣に考えるようになりました。

 

 

この間の記事で書いてはいましたが、これは自然なことだと思うので仕方ないと言えば仕方ありません。

 

何かしらのモチベーションがなければ続けるのは難しいですからね。

 

それが、目に見える数字に落として自分の結果を残そうとするのは普通のことです。

 

 

でも、知らず知らずのうちに自分が傲慢な性格であると知らされることになりました。

 

 

 

何様のつもり?

 

ある日、友人からメールが来ました。

 

その友人は自分がブログをやっていることを知っていて、物凄く親身に人のことを考えられる人です。

 

そんな彼女が自分にこんな風に言いました。

 

 

 

「周りを幸せにできていない人間が、赤の他人が見てくれるブログで幸せにできるわけないやろ」

 

 

 

はっきり言って、衝撃的でした。

 

そして、その言葉を受け入れている自分もいました。

 

 

それまで、自分は周りの人間のことを全くと言っていいほど考えておらず、考えることのベースが全て“自分本位”だったんですよね。

 

自分の将来のためとか、記事を資産にしようとか…

 

そして、彼女は自分の行動からそのことを知り、先程の言葉を言いました。

 

自分の性格、傲慢さ、自分勝手…。

 

 恐ろしいほど、自分のこれまでに怒りを感じ、呆然としていました。

 

 

周りの存在の大切さ

 

自分はこれまで周りの人達を心の底から大切にしてきたかと問われると、

 

即答でYes

 

とは、答えられないでしょう。

 

 

人を信じられない。

 

自分を信じられない。

 

 

その結果、周りの人を幸せにするどころか不幸な方へ導こうとする自分の傲慢さを、指摘してくれた彼女には感謝しかありません。

 

そういう意味で、

 

 

「周りを幸せにできていない人間が、赤の他人が見てくれるブログで幸せにできるわけないやろ」

 

 

この言葉は、自分の冷え切った心を打ち砕いてくれる励ましの言葉になりました。

 

 

もし、あなた自身も傲慢だと思うなら

 

僕はもう皆さんに、

 

 

こうした方がいいよ。

 

とか、

 

この考え方が大切だ!

 

 

などの、あたかも自分が教祖様のような言葉を使うのは辞めます。

 

なぜなら、自分は皆さんと同じ人であって、人を思うことのできる人間です。

 

だからこそ、自分の正しさを周りに押し付けずに

 

「このようにする方法もあるよ」

 

と、提案をしていきます。

 

そっちのほうが良いかなと。

 

 

自分の欲に沿った言葉とはおさらばです。

 

そして、周りの人達を家族と同じくらい大切に。

 

では、また。

 

 

最後までお読み頂いてありがとうございます!