毎日にちょっぴりの幸せを。

マロが思う写真とお茶と生き方について

親をうざいと思ってる人へ。いつか後悔するぞ。

 

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どうも。

 

さっき家を出ようとすると丁度親父が、

「ぜぇはぁぜぇぜぇ」と息を切らしながら帰ってきました。

 

自転車で職場まで通っているので、そりゃしんどいことこの上ないでしょう‥。

 

朝の5時に家を出て、夕方の5時に帰ってくるので疲れるのは当然のこと…。

 

本当に毎日仕事を頑張っている姿は、感謝で頭が上がりません。

 

親父息を切らしながら帰ってきたときに丁度自分も家を出ようとしていたので、

 

親父「どっか行くんか?」

僕「梅田行ってくる」

親父「はぁー?こんな時間からか?」(実家が京都なので…)

僕「飯食べに行くねん」

 

そう言うと、しぶしぶ納得する親父。

 

親父「何で行くねん」

僕「自転車で行くよ」

親父「雨降るし、カッパ着ていけ」

僕「そうするよ~」

親父「レーダー(気象庁の)見てへんやろ?」

僕「ちゃんと見て確認したよ」

親父「そうか」

 

結構、いろいろと注文をつける親父。

これで終わりかと思いきや…

 

親父「手袋もしていけよ」

僕「わかってるってば!」

 

と、あれこれ指示してくるので

イライラが募る僕。

 

このやりとりがしょっちゅうあるんですよね。

 

21歳にもなって、

 

「手袋付けて行けよ」

 

なんて言われなくても判断できるってば!と思ってしまう‥。

 

どこかしら過保護な部分もあるんじゃないかなと思う‥。

 

家から出ない自分も悪いんですけどね。

 

人は今以上の満足を求める

 

何度かこのブログで紹介してきた、「失って初めてその価値に気づく」。

 

文字通りこの言葉を無くしてこの記事は書けません。

 

人は良い意味でも悪い意味においても、欲深い生き物です。

 

常に上の満足が欲しいと心の奥底で思い続けています。

 

言い換えるなら、現状に不満を持ちやすくなる。

 

そして、それがイライラしたり暴言を吐くことでなんとか不満を解消しようとする。

 

本来はその人にとって唯一無二の大切な物のはずなのに上を目指すが故に、

元々は唯一無二の存在=現状の不満に、なっていまいがちになります。

 

これは実際に思っていないと言うかもしれないけど、心の奥底では

「あって当然」だと認識するからそういう不満を募らせた態度になるんですよね。

 

 

かつての自分もそうだった。

 

 

自分もかつてはそうでした。

 

とっくにわかっていることなのに逐一注文を付ける親のことが

うっとうしくて仕方ありませんでした。

 

「そんなこと確認しなくても普通わかるやろ!」

「自分で考えて行動しているからいちいち口出すな!」

 

思春期の子供みたいですね…

 

でも、親に対してそんな感情しか持っていない時期がありました。

 

自分で動きたいのに、親に束縛される感じが嫌で仕方ありませんでした。

 

そんな時に自分が取っていた行動は、親との会話を減らすことでした。

 

話さなければ自然と何か言われることはないだろうと、

物凄く簡単にできる方法を取りました。

 

向こう側から話してきても、

適当な相槌を打ってさっさと会話を終わらせたりしていましたね。

 

そうすると何が起こるのか。

 

結果を言うまでもないですがそれ以来、会話の量は圧倒的に減りました。

 

一日も話さない日もありました。

 

そうしていると自分の心にある変化が起こりました。

 

会話の量が減ると共に、親に対して抱く感情が一切無くなったんです。

 

鬱陶しいと思うことは愚か、嬉しいや楽しいと言った感情を共有する時間も。

 

ましてや、当時はそのことに気づいていませんでした。

 

ただただ距離を開けて、

「無」に近い関係で過ごす時間に何の問題も感じませんでした。

 

むしろその状態に満足し過ぎて、次の満足を得ようと、さらなる不満を抱えようとしていました。

 

そして、そんな日々を過ごしていると、事は突然起こりました。

 

 

 

 

ある日。

 

いつも通り学校が終わり、そそくさと家に帰宅しました。

 

何の変化もなく、ただただ過ぎる時間。

 

家の前に着いて「ただいまー」と言って、部屋に上がりました。

 

すると、母親の様子がなんだか変だということに気づきました。

 

慌ただしくて、目を見開き落ち着かない様子。

 

「どうしたん?」と聞くと、

 

 

 

 

「父ちゃん事故にあったらしい」

 

 

 

 

……。

 

 

 

それを聞いた瞬間ほんの少しずつ、心を覆いかぶさっていた黒いメッキが剥がれていくのを感じました。

 

その状況に不満を持っていた自分が、少しずつ変わっていくのです。

 

自分がこれまで親父に取ってきた態度を後悔するまでは至らないものの、

自分も落ち着かずにはいられない心地になりました。

 

「大丈夫なんかな」

「怪我してへんかな」

 

自然と心配していたんですよね。

 

それから時間が経つに連れて、

少しずつ少しずつ自分の過去の態度が頭の中を横切っていきました。

 

それと共に、

 

「なんであの時あんな態度を取ったんだ」

「なんであんなことを平気で言えたんだ」

 

これまで親父に取ってきた態度に対し、

後悔の念に苛まれるようになりました。

 

本当に、そんなことをしなければ良かった。

 

心底そう思いました。

 

二度と戻れないことになるかもしれない。

 

そんな後悔を心に抱えながら無事を祈りました。

 

 

 

そして後に連絡が入り、

幸い命に別状は全くなく膝の筋に損傷が見られる程度だとのこと。

 

本当に安堵のため息をつきました。

 

スーッと心が晴れやかになるような。

 

それと同時に、これまでの自分の態度を恥じました。

 

二度と味わえない時間、空間をないがしろにしようとした自分を。

 

 

当たり前がいつまでも続くなんてあり得ない。

 

他の人には、この気持ちは味わってほしくない。

 

ただその思いだけです。

 

もし、自分に都合の悪いこととかイライラすることを言ってきたのであれば、

矛先を向けるのではなく一緒に解決しようと歩み寄ってください。

 

あなたの親なのだから、手を差し伸べる子に矛先を向けるなんてことはないはず。

 

その場で自分のイライラをぶつけても、残るのは変なわだかまりだけです。

 

何も前に進まないし、勿体無い。

 

一緒にこうしよう、あぁしようと提案をして下さい。

 

出来るだけ話して下さい。

 

 

 

そんな人に読んでもらいたい著書 

親とさよならする前に 親が生きているうちに話しておきたい64のこと

親とさよならする前に 親が生きているうちに話しておきたい64のこと

 

 

著者について
清水晶子(しみず・あきこ)
神奈川県生まれ。葬儀社の役員として、15年以上にわたり年間1,000件以上の葬儀供養などの相談に携わり、人生の終末期における生活者の悩みに真摯に向き合う。
更に自身の祖母の介護・成年後見を経験したことにより、終活の必要性・重要性を生活者・事業者に伝えることが使命と考え、一般社団法人日本クオリティオブライフ協会を設立。長寿社会において、最後まで尊厳を保ち、誰もが人生に幸福を見出せる社会の醸成に努める。
全国各地で、終活、生前整理に関するセミナーや高齢者ヨガのクラスを開催し、人気を博している。

Amazonより引用)

 

 

この本を読んでみて思ったのは、いつかは来てしまう日を想定するのが悪いこととして捉えるのではない。

 

むしろ

「あんなことしておけば良かった」

「なんで、今になって気付くねん…」

などを経験しないようにすることが大事だと教えてくれる内容になっています。

 

人は必ず老いるし 、死にゆく生き物です。

 

でも、それを悲観的に見るのではなくて

その生きている時間の中で、どうすれば最大限喜びを

分かち合えるのか、何をすれば後悔しなくてすむのか。

 

そんな内容が、親子のコミュニケーションの取り方から葬儀の費用、相続の問題など

普段取り扱いにくい内容まで幅広く取り扱っています。

 

著者は葬儀屋で年間1000件以上のお仕事を通して、

その中で垣間見た人々の心境を基にして書かれています。

 

なので、これまで実際に人々が抱いた後悔や二度とやり直すことのできない体験がベースになっています。

 

なので

「私は違うから大丈夫」

と、考えている人ほどこの本は読んで頂きたいです。

 

いつかは来る。