毎日にちょっぴりの幸せを。

マロが思う写真とお茶と生き方について

恥ずかしいと思うなら止めてしまえ

f:id:life0is0free:20160912231816j:plain

今回のタイトルはちょっと強引に書いてみました。

 

最近恥ずかしいと思うことはありましたか?

 

これまでしてきてしまったことは些細なことから、下品なことまで多岐に渡ると思います。

 

しかしここで恥ずかしいというのは、何かをやらかしてしまって恥ずかしいというのではなく、何かをしようとして恥ずかしいと思うことです。

 

そう思うことを批判的に表現している詩がこちらになります。

 

 

 

恥を知らないということほど、恥ずかしいことはない。
 
吉田松陰

 

 

 

恐らくこの言葉の意味を体で実感している人は少ないでしょう。

 

恥ずかしいと思い行動を起こさなかったことを、後々に振り返って「あの時~をしておけばよかった」という声をよく聞きます。

 

以前、番組「月曜から夜ふかし」で高齢者の方々に街頭インタビューを行っていた回がありました。インタビューの内容は「やり残したことは何ですか?」。その質問に対して年配の方々で多かった答えが、「勉強しておけばよかった」。何人もの方が答えていました。学生時代はただただ面倒だ、したくないなどのその場の欲求を満たす行動を取る人が多いですが、いざその立場から足を引くと自分が勉強してこなかったことに対しての後悔の念を感じる人がたくさんいました。

 

今回のテーマは「失って初めて、無くしたモノの価値を知る」と密接に関係していると私は考えます。

 

何かをしようとすることに恥ずかしいと思うのは、その何かをしようとする自分自身が周りにどのように見られているかを気にしているから恥ずかしいと思うのです。

 

こんなことをする自分はどう思われるのだろうか。

 

私はそのことをよく気にしていました。

ただただ、自分がどのように見られているかを気にして恥ずかしい思いをしないように自分のメンツを守ろうとしょうもない行動を心がけていました。

 

そんな時、吉田松陰の詩との出会いは己の行動を根本から恥じさせてくれるものでした。

 

今まで自分が守り通してきたものが、どれだけ自分の過ごす時間の価値と比較するとしょうもないことだったか。

 

恥ずかしい思いをしたくないから、自分を隠す。つまり自分に嘘をついて生きていることと寸分変わらない時間を過ごしてきたかを気づかされました。

 

さもなければ、自分が年を取った時にとてつもなく大きな後悔を心に抱えてしまう所でした。

 

もし皆さんが私と同じように恥ずかしいと思われることを躊躇い、行動を起こさない状況にあるのであれば今すぐ変えましょう。

 

その時、その瞬間は二度と訪れません。

 

もう一度、言います。

 

 

 

人は失って初めて、無くしたモノの価値を知る。

 

 

 

この言葉の人生をあなたは送りたいのでしょうか?